十人十色の「グローバル人財」を紹介するインタビューシリーズです。今回はミャンマーで起業し、現地で飲食店(クレープ屋)を複数店舗展開している森田さんにインタビューさせて頂きました。キャリア形成を多面的に考える参考になれば幸いです。
自己紹介
こんばんは、お久しぶりです。確か2019年頃、クーデターが起きる前にミャンマーのヤンゴンでお会いした以来ですね。お元気でしたか?
はい、お陰様で元気にやっています。
森田さんとは2012年に出会ってから今に至りますが、改めて考えると森田さんのバックグラウンドをあまり深く知りません。今回はせっかくなので普段聞けないことをインタビューさせてください。
はい、何でも聞いて下さい。フォーマルな感じが新鮮ですね。
大丈夫ですよ、カジュアルに気楽にいきましょう。それではさっそくですが、改めて簡単に自己紹介をお願いします。
現在、ミャンマーのヤンゴンでクレープ屋を2店舗経営している森田です。宜しくお願い致します。
ありがとうございます。アジア最後のフロンティアと呼ばれるミャンマーにおいて起業、現在は政治面でも大変だと思いますが、海外で起業された背景等も含めて後程色々と質問させて下さい。
はい、なんなりと。
野球漬けの高校時代
森田さんは、高校を卒業されて大学、大学院へと進学されています。先ずは森田さんの学生時代をざっくばらんにお聞かせください。
元々不登校だったので、高校は定時制の高校に通い野球に打ち込んでいました。
そうだったんですか?森田さんの明るい性格や負けん気が強い性格を知っているので不登校だったことは意外です。記事では触れないでおきましょうか?
いえ、載せて問題ありません。全然大丈夫です。
そうですか、分かりました。続けてください。
高校時代は基本部活に打ち込んでいました。野球部に入って、野球が面白くなり、次第に夜間ではなく、昼に野球をしたいと思うようになりました。そこで、全日制の高校に通うために、定時制を1年で退学して、受験を経て翌年から1年遅れですが全日制の高校に1年生として通い始めました。
野球少年だったのですね。
はい、ですが高校3年の夏に野球部を引退後は燃え尽き症候群となり、再び不登校となりました。その結果、1年留年しましたが、その後無事卒業は出来ました。なので、高校卒業は普通18歳ですが、僕の場合は20歳でした。
次の目標がないと、それまでに何かにのめり込んでいた人ほど反動は大きいですよね。
アルバイトの日々
高校卒業後の進路も、大学もあまり興味がなく、就職というのもイメージが沸かず、3年間はアルバイトをしていました。
どのようなバイトをしていましたか?
郵便局で配達のアルバイトをしていました。
初めてのアルバイトはいかがでしたか?
何よりも仕事の面白さに気づきました。僕は今まで落ちこぼれで評価されなかった。でも、仕事をきちんとすることで評価されることが嬉しくて。それで仕事って面白いな、楽しいなと感じていました。
初めてのバイトでは、社会の厳しさを学ぶことも多いかと思います。その中で自己肯定感に繋がる経験は森田さんにとって重要な分岐点の一つと言えるのではないでしょうか。逆に喜怒哀楽の怒や哀についてのエピソードはありますか?
怒や哀まではいきませんが、様々な社員さんとの出会いを通じて、高卒と大卒の給与の違い、また大卒の方が出世も早いことを間近で見ていると、やっぱり高卒よりも大卒の方が良さそうだなと思いました。
もちろん、会社の方針や事業内容、職務内容によりますが、高卒よりも大卒を優遇するケースはやはり多いですよね。
大学へ進学。卒業後は大学院でMBA取得
そこで大学に行くことを決めました。1年半受験勉強して、大学に入学し経済学部に入りました。その時すでに23歳でした。
有言実行素晴らしいですね。
大学4年になると、親が建設会社の経営者だったこともあり、経営に興味を持つようになりました。そこでMBAの存在を知り、経営のスペシャリストになろうとMBA取得を目指しました。
次の目標が定まった訳ですね。一方でMBAは実務経験が求められるケースがあります。そのあたりは大丈夫でしたか?
はい、まさに実務経験3年が求められました。そこで色々と調べていると法政の大学院であれば、大学の成績が良ければ大卒からでも直ぐに入学できる制度がありました。私の成績も法政の基準を満たしていたので無事合格できました。
起業のきっかけとなる大学院時代
成功体験を着実に重ねていますね。大学院のMBAは実際に入学してどうでしたか?
みんな勉強する意識が高く、いい環境だと思いました。またビジネスだけでなく、人生経験豊かな人達ばかりなので、ビジネス以外についても彼らから多くを学びました。それに所属ゼミのOBでミャンマーに駐在している人がいて、それが縁で今のミャンマーでのビジネスに繋がっています。そのあたり踏まえてもやはり得るものが多かったと思います。
ビジネスをアカデミックに学ぶだけでなく、先人の多様な人生観に触れることや実際のビジネスでも繋がりができるなんて有意義な場ですね。さて、ここで森田さんが後に現地で起業することになる「ミャンマー」のキーワードが出てきました。このあたりもう少し詳しくお聞かせください。
私が通っていた法政のMBAは事業計画が卒論になるユニークな学校です。そこで私は事業としてオンライン英会話をやりたかったのですが、指導教員に英語はありきたりだからやるなら違う言語にしなさいと助言を受けました。その際にミャンマー駐在しているゼミ生のOBがいるからミャンマー語はどうかと。それが全ての始まりです。
卒論が事業計画とは新規事業や起業するに人にとっては実践的で有意義ですね。その後どうなりましたか?
実際に紹介頂き、その駐在員の方に連絡を取りました。また、関連して現地でコンサルしているOBもいたので、直接彼らに会いに行きました。
MBAの価値は学問よりもネットワークとする考えもありますが、森田さんは後者の価値もしっかりと享受できてよかったですね。
はい、彼らなしに今はないと思います。それまではミャンマーがどこにあるかもわかりませんでした。でも最後のフロンティアと呼ばれていることに興味が沸き、現地に行ってみようと決めました。
ミャンマーとの出会い
現地はどうでしたか?
当時は全部で2回渡航しました。最初は事業計画を前提とした調査目的でしたが、ミャンマー人はとても優しく、中には世話までしてくれる温かい国民性を知り、ミャンマーの国や人に次第に惹かれていく自分がいました。
心に残るエピソードはありますか?
2回目の渡航時に私の認識違いで一回目に渡航したビザが使えず、現地で入国出来ない最悪な事態が起きました。その時に、初回渡航時に宿泊し、2回目も宿泊予定のゲストハウスのオーナーに連絡したら、まさかのビジネスビザを発行してくれました。
それはウルトラCですね。信頼がないとなかなかできないと思います。
はい、本当に助かりました。そしてその方が現在のビジネスパートナーです。
この上ないエピソードですね。異国の地で助けてくれた恩人と共に事業をする。素敵ですね。大学院で卒論のために現地渡航・調査し、大学院卒業後にすぐに現地で起業したのですか?
いえ、当初ミャンマーで起業したかったのですが、やはり大学院での現地調査を経てもわからないことだらけなので正直現実的ではありませんでした。そのため一旦ミャンマーでの起業は諦め、先ずはミャンマーに進出している日系企業に就職しようとしました。ですが、残念ながら採用されませんでした。結果的に、自分でお金を貯めていくしかないと思い、日本で一般の企業に就職してお金を貯めることに決めました。
起業資金を貯めるために就職
やはり人生一筋縄ではいかないですよね。どのような企業に就職しましたか?
中小企業向けの経営コンサル会社に就職しました。そこでの私の業務は主にクライアントの新規顧客開拓でした。その後、グループ会社の人材派遣会社で、クライアントの会社に常駐し、派遣スタッフの管理をしていました。所謂BPOですね。
どれくらい勤めましたか?
およそ2年半ですね。
当初目的のお金が貯まったタイミングでしたか?
いえ、貯まりませんでした。
その理由を聞いてもいいですか?
浪費癖があって…
森田さんも人間ということですね。親近感を持つ読者もいると思います。でもそうすると尚更なぜやめたのですか??
実は退社する少し前に、これからミャンマーに進出する日系企業の中途採用面接を受けていました。最終面接まで進み、事前に意思確認だけと言われていた最終面接で「行きます」と意思表示したらお祈りメールが来ました。そこでこのままじゃダメだと一旦リセットすることにしました。
それが本当の理由ならぬきっかけですね。意思確認で落とされるのはメンタルきついですね。何か自分に変化はありましたか?
とにかく本気でお金を稼ぐことを決めました。その後、ヤマトで個人事業主としてドライバーのバイトを完全出来高ベースで約8か月働き目標300万円に達しました。
ストイックですね。振り返れば過去の郵便局でのアルバイトの日々がここで役立ったわけですね。まさに、スティーブ・ジョブズのconnecting dotsですね。そうするとミャンマーでの現地起業に向けて金銭面の問題は解決できたわけですね。
はい、お金が貯まったのですぐにミャンマーに渡航しました。
遂に本格的に起業するためミャンマーへ
いよいよですね。ちなみにその時考えていた事業は大学院時代に計画していたオンラインビジネスですか?
はい、当初はそのつもりでした。けれどマネタイズまでに時間がかかりそうだったので、まずはすぐ売上がたつビジネスをやろうと決めました。現金ビジネスですね。そこで飲食にしようと。
現地で物理的な店舗の確保や衛生管理が許認可ベースで求められる飲食店は異国の地で行うには規制や交渉、初期投資等の視点でも、かなりハードルが高そうな印象ですが、算段はありましたか?
ありませんでしたね。でもどんなビジネスでもやろうという気概でした。
熱いですね。MBAを経てヤマトでガッツリ働き目標達成した森田さんのキャリアを考えると、ノリに乗っている状態だったのでしょう。
起業したい人は沢山いるけど、子供がいたり、奥さんもいるから家族を養うためといった理由で起業「出来ない」という話をよく聞きます。私はあれこれ考えずにとにかく動くことだけは大切にしようと心に決めていました。
やると決めても実際に成果に繋がる行動が必要となりますが、その後どのような行動を取られましたか?
大学院のOB含めて海外で起業している様々な人たちに直接会いに行きました。事業計画は基本その通りにはいかないものです。でも結果を出している人とそうでない人がいる。その違いは何だろうと。それを特定するために会いに行きました。
結論は出ましたか?
はい、その結果、行動力だと思いました。どんな良いビジネスモデルも動かないと始まらない。特にミャンマーは前提条件が違う。何よりも行動力。まずはどんな小さいことからでもいいので前に一歩一歩進むことが大事だと分かりました。
よく「成功はアート、失敗はサイエンス」という名言がありますが、行動の絶対量がそもそも違うという点に着目したわけですね。行動が大事だと心底腹落ちしたことで、その後の行動が量、深度ともにどれくらい変化するのか興味あります。いかがでしたか?
最終的にクレープ屋を現地ですると決めたのですが、現地調査を徹底的に行いました。競合店を片っ端からまわり分析調査するのは勿論のこと、実際にイベントの屋台でテストマーケティングをする等、机上の検証ではなく、実際の生のデータでの検証にこだわりました。
現地の屋台でテストマーケティング実施
本気になってもずっとデスクトップリサーチしているだけでは、やはり現場感がなく机上の空論になりがちですよね。ちなみにそもそもなぜクレープ屋なのですか?
タイはじめASEANの近隣諸国にも出張して調査していました。そこで近隣諸国と比べてミャンマーにはそれらの国々で流行っているスイーツがない印象でした。そこで特に他国にあり、ミャンマーには少ない人気の外食としてクレープが浮上してきました。
近隣まで調査するとはやはり行動量が違いますね。素晴らしいと思います。
特にタイで流行っているものはミャンマーで売れることがわかっていたのでビジネスチャンスだと思いました。
そのあたりのトレンドの発信源や関係性も調査で把握されていたのですね。ところでクレープ屋で昔アルバイトしていたことはあったのですか?
いえ、まったくありません。なのでクレープ屋をやると決めてからゼロベースで機材や原材料をミャンマーに輸入して数か月に渡り自分で作ってはやり直してを繰り返しました。最終的にそれなりに納得のいく味にはなったと思います。
ストイックですね。屋台でのテストマーケティングでは味に対して現地の反応はどうでしたか?
1週間のイベントでしたが、当初は1日に100人は買ってくれるだろうと思っていました。でもふたを開けてみると、最初の数日は1日に3人位しかこなかった。
それはタフですね。
はい、それでこれはまずいと思い、最後の二日は採算が取れる前提での攻めたプライシングと見せ方を変えてみました。その結果、両日とも黒字となり、トータルでは赤字でしたが、改善してからは黒字なのでいい収穫でした。
自分の足で稼ぎ、身を粉にして得た生のデータとエッセンスですね。極秘だと思いますのでそのあたりは触れないでおきます。テストマーケティングの結果を踏まえて、これならやれると判断し、店舗をオープンしたのですか?
はい、それで店舗を出すことを決めました。
悲願のクレープ屋OPENへ
遂に森田さんのデビュー戦が始まるわけですね。色々と質問させてください。まず、現地のイベントの屋台でテストマーケしたということは、ターゲットセグメントはローカルの一般層向けですか?
はい、完全にローカルの一般層向けです。富裕層ではありません。
日本の企業が飲食関係で現地進出するケースは現地の日本人駐在員やローカルの富裕層向けが多い中、相対的に所得の低い一般層へはチャレンジングですね。許認可や賃貸契約こそ外国人にとってハードルが高いと思いますが、そのあたりはどのようにして解決しましたか?
それが例のゲストハウスのオーナーです。彼に正式にビジネスパートナーになってもらうことで実現できました。
レベニューシェアですか?
いえ、賃貸料だけの月額固定です。場所も若者が集まる渋谷の一等地みたいな場所で、実際に色々と家賃相場も調査もしましたが金額も良心的で本当に彼には感謝しています。
森田さんの人徳でしょうね。パートナーとはどのような棲み分けですか?
パートナ―は、基本は場所貸しと現地規制や法律等への対応/手続きだけです。それ以外はすべて私です。
良心的な金額で家賃だけであれば相対的に低コストの月額固定、軌道に乗れば利益率も期待できますね。かつお話を聞いていると経営もきちんと森田さんがグリップしていると。
はい、ビジネスを前提としていない中での出会いから始まったからこそ、こんないい条件に恵まれたのかなと思いました。
とても良い関係ですね。お店をオープンしてからはどうでしたか?
最初の1か月、2ヶ月は赤字でしたが、3か月目から黒字になりました。
すばらしいですね。要因は何だと思いますか?
毎日競合10店舗位、現地におけるコミュニケーションのメインチャネルであるFacebookや実際の店舗で彼らの取り組みを確認して、常に自社の施策として取り入れるかの取捨選択、取り入れるものは改善して実行することを継続しているからだと思います。もう習慣になっていますね。
習慣にまでなっているのは現状に甘んじない姿勢と行動の賜物ですね。素敵です。コロナの影響はいかがですか?
残念ながら2020年の前半戦は全体として売上が半分になりました。ヒトが出歩かなくなった。それに尽きます。貯金を切り崩して従業員の給料に一時期あてていました。
苦しい時期ですね。
はい、一方で何もしないわけにはいかないので、デリバリーを始めたりSNSを強化する等、やれることはやりました。その結果2020年後半に入ると単月で売上がコロナ以前よりも上がりました。そこで二店舗目に踏み切りました。
攻めますね!二店舗目はどのようにして場所を確保しましたか?
複数の良さげなショッピングセンターを訪問して価格相場を聞き出しつつ交渉を繰り返す形で一枠確保しました。
現地でのマネジメントについて
森田さんのバイタリティーが成せる技ですね。ここで視点を変えて国が定義するグローバル人材の定義に関する質問をさせて下さい。異国の地で異なる文化を持つ人々と働くことは容易ではないと思います。ミャンマーではいかがでしょうか。
そうですね、例えば時間に対する感覚が日本人とは異なるので、スタッフが遅刻することも決して少なくありません。一方で、そこは現地をしっかりと理解する必要があると思います。例えば、基本的なことですが彼らの主な移動手段はバスです。そしてバスが定刻通りに来ることはあまりありません。現地の交通事情に起因するものであればこちらも受け止めることができますし、それが分かればインセンティブ等により対策も十分可能です。
コミュニケーション面ではいかがですか?
人がすぐ辞めることは知っていたので、基本的に対等であることを示すようにしました。日本人はミャンマー人に対して安い人件費等の観点から見下している人も決して少なくありません。ミャンマーは若い人が多く、彼らを褒めると喜んでくれます。小さなことでも褒める意識をしています。やはり承認欲求は大事ですので、そのあたりはきちんとケアしています。
マズローですね。他に意識していることや取り組んでいることはありますか?
労いの意味も込めて月に一回はスタッフ全員で食事に行っています。喋らないスタッフとも話すきっかけになります。
なるほど、仕事の場だけでなく、業務の外でもケアされている訳ですね。語学の問題はどうでしょう?基本は英語でしょうか?
いえ、私は英語がそんなに話せないので、基本は日本語を話せる人材を採用しています。一方で彼らも日本語が完璧では勿論ありませんので、しっかり何回も説明することを心がけています。
今後の展望
日本語を話せる人材が一定数いることも日本企業にとってのミャンマーの魅力なのかもしれないですね。インタビューも終盤です。今後の展望をお聞かせください。
薄利なので多店舗展開は必須です。2年以内に10店舗まで増やしたいです。長期的には、ミャンマー人の日本への就労をサポートする送り出し機関に関心があります。また、当初の事業計画を派生させてミャンマー人の英語講師とミャンマー人生徒を繋げるオンライン英会話サービスを現地で展開することも検討しています。
海外ビジネスに興味のある方へのメッセージ
色々と具体的な目標があり、素晴らしいですね。熱を感じます。それでは海外ビジネスに興味のある方へコメント頂けますか?
海外で起業するのに当初想定したビジネスモデルが上手くいくことは殆どないと思います。想定外の困難だらけ、それが海外ビジネスだと思います。とにかく行動あるのみで頑張って下さい。
グローバル人「財」とは?
最後に、森田さんにとって「グローバル人材」とは何か一言でお聞かせください。
「行動力のある人」
ありがとうございました!
※現地での政治面については森田さんの立場もございますのでインタビューでは触れておりません。
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森田英明
1984年生まれ。法政大学大学院卒業後にミャンマーでクレープ屋をオープン。
首都ヤンゴンにて現在2店舗展開している。